数学放浪記
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によって ピーター フランクル
3.6 5つ星のうち4 人の読者
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1992年初版。ピーター・フランクル氏の文章をとても楽しんで読めた。“楽しんで”と言うには語弊のある部分もあるが、やはり島国育ちの海外での出来事に関するアンテナは限られていた。だから、そんな事が行われていたのか、と言う驚きもあった。著者の人生回顧録以上の事が書かれている。父母から聞いたアウシュビッツ強制収容所の話し、戦中の街中の様子、伝聞ではあるけれど欧州の生に近い声を聞けた。幼い頃のピーター君はとっても悪戯っ子で悪がきだ。数学に夢中になって集中はしても、決してガリベン君ではなかったようだ。戦後の混乱の中で、そして今より人間臭い生活の中で彼は自分の道を見つけて行ったが、その裏には大勢に流されず、自分が好きな事を追求して行く、と言う信念を貫いていた。日本人から見たら羨ましい生き方をして来た。その幼少期、青年期の自叙伝でもある。そして彼が“師”(但し、日本的感覚の師ではない)や触発される友を見出だした事が彼の人生を変えて行く。数学、ジャグリング、チェス、語学、全てが交友関係の中で発展している。パリ留学から帰国し、サーカス学校にまで入学してしまう。(驚き!)亡命前のソ連への旅、入隊、亡命が、出来るだけさらりと書かれているだけにその心中は計り知れない。日本で大道芸を始めた時に“人を楽しませる明るさ”に欠けている事に気が付いた、とあった。こんなに明るく見える人でも初めはそうだったのか、と改めて感心した。大道芸は単なる芸ではない。見ている人は自分で気が付いていなくても笑いや明るさを求めているのだ。だから上手い芸を見せるだけでは足りない。芸をする人と観る人が一体になる受け入れる雰囲気を持っていないと観客は集まらないし、たとえどんなに面白い事を言っても笑ってくれない。曲芸も、漫才も、紙芝居も、そこに集まる人の年齢に関わらず人は笑いと明るさを求めている。大道芸に限らず客商売は皆同じかもしれない。サービス精神という言葉では未だ足らないナニカだ。
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